大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和47年(ワ)2633号 判決

原告

高旨富雄

外二名

右三名訴訟代理人

山田茂

外二名

被告

高木一男

右訴訟代理人

高田利廣

外一名

主文

一  被告は原告らに対し各金三三万三三三三円およびこれに対する昭和四七年四月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

(一)  被告は原告らに対し各金七〇万円およびこれに対する昭和四七年四月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行の宣言。

二、請求の趣旨に対する答弁

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

(一)  医療事故の発生

(1) 被告は肩書地住所地で高木医院を開業している内科医師である。

原告富雄の妻である亡高木初子は昭和四五年一月一八日頃腹部の不快感を訴え、同月二四日被告方に赴き上腹部痛、悪心、嘔吐の主訴で被告の診察および治療(以下「診療」という。)を受けた。被告は診療の結果軽い急性胃炎と診断した。

(2) 初子は同年二月四日頃から三日ないし四日毎に腹部の激痛を訴えるようになつた。そこで、原告富雄は被告に同女の右症状を伝え、その診療を求めたところ、被告は同女の病名としては胆のう症が考えられるが大丈夫だ、心配しないでいいと言つて、原告富雄に痛み止めの薬を与えただけであつた。

(3) しかし、原告富雄は万一のことを考え、前記のとおり初子が腹部の激痛を訴えるたびに数回に亘り、被告に対し精密検査を要請し、被告方でできないなら他の病院を紹介して欲しい旨を述べたが、被告は前叙のとおり大丈夫だ、心配いらないと言うだけで精密検査をしなかつた。

(4) 初子の病状はその後も好転せず、同年二月中旬頃からその腹部の痛みは激痛から鈍痛に変りそれが毎日続くようになつた。

(5) そして、初子は同年三月四日頃黄疸の症状を呈した。

(6) 被告は同月一八日初子を診察し、その右腹部を強く掴んだところ、肝二横指ほどの腫瘍ができていると言つて顔色を変えた。そして、翌一九日辻本外科病院を紹介し、翌二〇日同病院に初子を転院させた。

(7) 初子は同月二〇日辻本外科病院で診察を受けたが胆のうおよび肝臓が悪化していると診断され、直ちに同病院に入院した。その後の検査により同人の病気は癌であることが判明した。

(8) 初子は開腹手術を受けるため同月二四日東京警察病院に転院し、同年四月六日、同病院で開腹手術を受けたが、右手術の結果初子の病名は胆のう癌であることが確認された。しかし、すでに肝臓に転移しており、手遅れの状態であつた。

(9) 初子は同年五月八日同病院で胆のう癌全身転移により死亡した。

(二)  診療契約の成立

(1) 初子は昭和四五年一月二四日被告に上腹部痛、悪心、嘔吐の主訴で診療を求め、病的症状の医学的解明並びにこれに対する適切な治療行為をすることを依頼し、被告はこれを承諾したので、右両者間に診療を目的とする準委任契約が成立した。

(2) 初子は東京小型自動車健康保険組合の組合員である原告富雄の被扶養者として、健康保険法に基づく医療の給付として被告に診療を求めたが、保険診療といえども、現状では患者にも医療費を一部負担させることになつている。また、医療保険制度はそもそも損害の填補を本質とするという保険制度を採り入れたにすぎない。したがつて、医療が公営になつていない現在では患者と保険診療機関との間に私法上の契約関係が成立するものというべきである。よつて、初子と被告との間にも私法上の診療契約が成立したものというべきである。

(三)  被告の責任

(1) 被告は、前記診療契約の成立により、善良な管理者の注意義務をもつて、医師としての専門的知識、経験を基礎としその当時における医学の水準に照らして当然かつ十分な診療行為をすべき債務を負つている。

(2) しかるに被告は次のとおり右診療契約に基づく債務の本旨に従つた履行を怠つた。

(イ) 初子は前記のとおり同年一月二四日には上腹部痛、悪心、嘔吐の症状を呈し、二月四日頃から三日ないし四日毎に激痛を訴えるようになり、三月四日頃からは黄疸の症状が出ていた。したがつて、被告が初子を診察した初期の段階において既に胆石症の疑いが考えられ、しかもその後間もなく被告自身胆のう症を疑いはじめたのであるから、被告は早期にその確認のため諸検査をしなければならないのにこれをせず軽い急性胃炎と速断した。

その後もなお初子は上腹部の激痛を訴えたほか、黄疸の症状が続き、さらに肝二横指(ろつ骨の下に指を二本置いた範囲)の腫が認められるほどになり、外科的黄疸および胆のう癌の特徴的な症状を呈するに至つた。

黄疸にはいわゆる外科的(閉塞性)黄疸、内科的黄疸、中間的黄疸の三種があり、それぞれの症状の推移が異なり、治療方法も異なるから、患者に黄疸の症状が続く場合には、医師として右のいずれであるかを確認するための肝臓機能検査などの精密検査をすべきは当然である。しかも、腹部の激痛を伴う黄疸の場合は外科的黄疸であることが多いから、患者が終始激痛を訴えていた本件の場合は、内科医としても閉塞性(外科的)黄疸を疑つてしかるべきであつた。したがつて、被告はなおのこと前記のような精密検査をすべきであつたし、それが自らできなければ他の外科医院等に転院させる等の配慮をすべきであつた。しかるに、被告は原告富雄の累次の要請にもかかわらずこれを無視し、前記肝臓機能検査等の精密検査をしなかつた。そして、外科医院である辻本外科病院に転院させたのはようやく三月二〇日になつてからであつた。

(ロ) 被告は本件診療契約に基づき結果の如何をとわず当然しなければならない治療行為をする義務を負つていたものというべきである。被告が医師として当然の義務を尽くして早朝に適切な精密検査を実施していれば、初子の前記の症状の原因が胆のう癌にあることを発見することができたはずである。ところが被告は右の義務を怠つたため、軽い急性胃炎ないし閉塞性黄疸と誤信してしまつた。右は被告の過失というべきであり、この点において被告の診療行為は契約上の債務不履行もしくは不法行為に当たる。

(四)  因果関係

胆のう癌といえども早期に発見していれば、手術を施すことにより死の結果を免れることも不可能ではない。仮に胆のう癌による死の結果を回避できなかつたとしても、被告の前記誤診ないし治療の怠慢により初子の治療回復を不可能にし、少なくともその死期を早めた。

したがつて、被告の債務不履行ないし不法行為と初子の死亡ないし死期が早まつたこととの間には相当因果関係がある。

よつて、被告は初子に対し被告の債務不履行または不法行為により蒙つた後記損害を賠償する義務がある。

(五)  損害

(1) 初子は昭和二年一月五日生れで、死亡当時満四三歳であつた。まだ三〇年以上の余命を有し、家庭的にも子供らが成長して安定期に入り幸福な状態にあつたから死亡による精神的苦痛は絶大である。仮に死亡の結果を免れることができなかつたとしても、被告の誤診、怠慢により適切な治療を受けられなかつたことによつて初子は甚大な精神的苦痛を被つた。けだし、患者およびその家族は、治療しないまでも適切な治療を受けたのであれば、その結果の如何にかかわらず満足するものであるからである。したがつて、初子の精神的苦痛を慰藉するには金二一〇万円以上が相当である。

(2) 原告富雄は初子の夫であり、同洋一、佳予子はその子である。よつて、原告らは初子の右慰藉料請求権を法定相続分に従い各三分の一づつ相続した。

(六)  よつて、原告らは被告に対し債務不履行または不法行為に基づく損害賠償金各金七〇万円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四七年四月一二日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する答弁

(一)  請求原因(一)の(1)うち、被告が高木医院を開業している内科医師であること、初子が昭和四五年一月二四日上腹部痛、悪心、嘔吐の主訴で被告の診療を受けたこと、被告が初子に対し軽い急性胃炎と診断したことは認め、その余の事実は不知。

同(2)のうち、初子が二月四日から三ないし四日目毎に腹部の激痛を訴えていたこと、胆のう症と診断したことは認め、その余の事実は争う。初子はときに嘔吐を伴つていたので被告は胆石を疑つたが、石の存在を確認できなかつたので胆のう症と診断したのである。

同(3)は認める。この頃初子は胆石症の症状が強かつたので症状軽快後に入院させて精密検査を受けさせるつもりだつた。

同(4)は認める。

同(5)は認める。この頃被告は胆石による胆管閉塞性黄疸を考えた。

同(6)のうち、被告が三月一八日初子を診察したこと、翌一九日同人を辻本外科病院に転院させたことは認め、その余の事実は否認する。

同(7)のうち、辻本外科病院で癌であることが判明したことは否認し、その余の事実は不知。

同(8)は不知。

同(9)のうち、初子が五月八日死亡したことは認め、その余の事実は不知。

(二)  同(二)の(1)のうち初子が原告主張の日時に被告に診療を求め、被告が初子を診療したこと、(2)のうち初子が東京小型自動車健康保険組合の組合員である原告富雄の被扶養者として、健康保険法に基づく医療の給付として被告に診療を求めたことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告は健康保険法に定める保険医療機関として本件診療をした。保険制度のもとでは、保険医療機関は保険者が被保険者に対し給付すべき療養をその履行補助者として行なうものである。すなわち、保険給付自体の債務者は被告ではなく保険者である東京小型自動車健康保険組合であり、被告は単に保険者の行なう保険給付の履行補助者として公法上の債務を負担するにすぎない。したがつて初子と被告との間に私法上の契約関係は存在しない。

(三)  同(三)の被告に債務不履行責任ないし不法行為責任があるとの点は争う。

被告の診療経過は次のとおりである。

初子の初診時の症状はいわゆる急性胃炎症状であつた。

そこで、一月二四日から二月四日までの治療はブドウ糖二〇〇CC+イスウルクス五CC(静脈注射)、ルミトロピン(皮下注射)の注射、ユーグリン3.0、トロピン0.8の内服薬、パンカル、エーザイム三錠を投与した。

二月四日から二月一二日までの間は、初子は三ないし四日毎に激痛を訴え、ときに嘔吐を伴つていたので、胆石を疑つた。

そこでブドウ糖+イスウルクス五CC、プレパール二CCの注射、ユーグリン3.0、トロピン0.8、パンカル1.0の内服薬、タカジアスターゼ0.6、フエリクール三球を投与した。

二月一四日頃から激痛がつづくため、内服薬にセデス1.2を加えときに頓服剤として、ウインタミン一〇mg、ルミナール0.1、セデス0.5を投与した。

二月二三日頃から疼痛はやや軽快した。三月四日黄疸の症状を呈したので胆石による胆管閉塞性黄疸を考えた。

そこでブドウ糖+リポトリン5.0CC+リポイシン5.0CCの注射を続け、三月一一日からメルチオB122.0CCを加えた。内服薬としてユーグリン3.0、パンカル1.0、リポイシン1.0、トロピン0.8、タカジアスターゼ0.6、フエリクール三球を投与した。

三月一九日黄疸が消腿しないため辻本外科病院に転院させた。

胆のう癌を開腹手術前に発見することはほとんど不可能であるから、右の診療経過に照らすと被告には債務不履行ないし不法行為の責任がないことは明らかである。

(四)  同(四)の因果関係は争う。

(五)  同(五)の(1)のうち、初子が死亡当時満四三歳であつたことは認め、その余の事実は争う。

同(2)のうち、原告らと初子との身分関係は認める。

第三  証拠〈略〉

理由

一次の事実は当事者間に争いがない。

原告富雄の妻である高旨初子は昭和四五年一月二四日内科医院を開業する医師である被告に対し、上腹部痛、悪心、嘔吐を主訴として診療を求め、被告はこれを承諾して急性胃炎と診断したうえ、同年三月一九日まで同女の診療をした。同女は同月二〇日から二四日まで辻本外科病院に入院し、同日東京警察病院に転院して診療を受けたが、同年五月八日同病院で死亡した。

二〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

被告は前叙のとおり昭和四五年一月二四日高旨初子を急性胃炎と診断し、これに対する措置としてブドウ糖を注射したほか鎮痛剤、肝臓庇護剤その他の内服薬を投与した。しかし初子の症状は好転せず、三、四日の間隔をおいて激痛、嘔吐が甚だしく、被告方に通うことができなかつたため、一月末から二月初めにかけて三、四回原告富雄が被告方に行つて薬を受取つた。被告はその頃胆石または胆のう症を疑い、鎮痛剤の量を増すとともに胆汁分泌促進剤フエリクールを加えて投薬した。二月一〇日頃から初子の激痛はおさまり、以後鈍痛に変つたので、初子が三日おき位に被告方に通院し、同月下旬頃には痛みが一時緩和した。しかし三月二日に再び痛みはじめ、同月四日軽い黄疸が出現したので、被告は胆石による閉塞性黄疸(肝臓外の原因によつて生ずる黄疸)であると信じ、それ以後も従前どおり胆汁分泌促進剤を投薬するとともに肝臓庇護剤を注射した。しかし初子の黄疸は除去されなかつたところ、同月一九日初子の上腹部にやや抵抗があり軽度の圧痛があることを発見したので、被告ははじめて癌の疑いを抱き、急遽精密検査を受けさせるため他の病院に転院させることを決意し、辻本外科病院長辻本賢之助あての紹介状(甲第五号証の三)を作成して初子に交付した。これより前原告富雄が初子の代りに被告方に薬を受取りに行つた際、同原告は初子の意を体して二回にわたり被告に対し精密検査をしてくれるよう要請し、被告方でできないならば他の病院を紹介してほしい旨依頼したが、被告はこれに応ぜず、被告の診療期間中精密検査をしなかつた。

右認定に牴触する被告本人の供述は前掲各証拠に照らし信用しない。

三〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

初子は同年三月二〇日辻本外科病院で診察を受けたところ、腹部に約三横指(肋骨弓の下に指を三本横にした巾の範囲)の肝腫脹があり、その下に胆のう様の大きさ、形を呈した腫瘤が認められたため、直ちに同病院に入院して精密検査を受けた。その結果、胆のう造影検査は、テレパーク内服法、ピリグラフイン静脈注射法ともに造影されず、しかもエツクス線フイルム上肝臓部、下肺部に異常陰影が認められた。また血液検査は、黄疸が軽度の割に肝機能障害が強く、特にアルカリフオスフアターゼが高く、LDHが異常に高い結果が出た。同病院長辻本賢之助はこれらの検査結果と前記腫瘤の性状等を総合的に判断した結果、癌であることにほぼ間違いがないとの結論に達したので、同月二三日原告富雄を呼んでその旨伝えるとともに、更に精密な検査を受けさせるため初子を直ちに東京警察病院に転院させることをきめた。東京警察病院では同年四月六日開腹手術を行なつたところ、胆のうに原発の癌があり、これが膵臓、肝臓、総胆管、肺に転移していることが判明したので、それ以上の手術を断念した。そして、初子は同年五月八日胆のう癌全身転移のため同病院で死亡した(初子が同日同病院で死亡したことは当事者間に争いがない。)。

〈証拠判断、省略〉

四初子が昭和四五年一月二四日被告の診療を求め被告がこれを承諾して同女の診療を開始したことは前叙のとおり当事者間に争いがない。

右事実によれば、初子と被告との間には診療に関する契約が成立したことは明らかであるが、右診療契約は、被告において初子の病的症状の医学的解明をしその症状に応じて診療行為をすることを内容とする準委任契約であると解するのが相当である。よつて、被告は右契約に基づき初子に対しその当時における医学の水準に照らして十分な診療行為をなすべき債務を負担したというべきである。

被告は、健康保険制度を利用して診療を受ける場合には私法上の契約関係は成立しないと主張するので検討する。

初子が本件診療を受ける際に東京小型自動車健康保険組合の健康保険を利用して被告の診療を受けたことは当事者間に争いがない。そして、健康保険法に基づく保険給付は保険者である政府および健康保険組合が療養の現物給付をなすものであることは明らかである(同法二二条、四三条)。しかし、右療養の給付を受ける被保険者はみずから医療機関を選定することができ(同法四三条三項)、当該医療機関に対し医療費の一部を負担して支払う義務を負うものである(同法四三条ノ八)から、健康保険制度を利用して医療機関の診療を受ける場合でも医療機関である医師と患者との間には私法上の契約関係が成立するものと解するのが相当である。そして、この点は当該医療機関が保険者に対し公法上の債務を負担することとは関りのないものである。よつて、被告の主張は採用できない。

五三で認定したとおり初子の死因は胆のう癌であつたので、被告が早期にこれを発見できなかつたことが前記債務の不履行になるかどうかについて先ず判断する。

〈証拠〉によると、胆のう癌は黄疸のほかに症状を呈することがなく、これを早期に発見するための検査方法がないため、現在の医学の水準からは、開腹手術前にこれを発見することはほとんど不可能に近く、黄疸出現前はこれを疑うことさえ極めて困難であることが認められる。したがつて、被告が黄疸出現前に胆のう癌を発見せず、またはその疑いさえ抱かなかつたとしても、これを被告の債務不履行であるということはできない。もつとも、被告が昭和四五年一月末か二月初め頃胆石または胆のう症を疑つたこと、その頃原告富雄から精密検査の要請を受けたがこれに応じなかつたことは二で認定したとおりであり、証人斎藤慶一の証言によれば、胆石の有無を確認する検査方法としては、三で認定した辻本外科病院が行なつた検査のとおり、胆のう造影剤を内服または注射したうえ胆のうをエツクス線で撮影する方法があることが認められる。しかし、右証言によれば、右検査方法は患者の痛みが激しい時にこれを行なうことは危険であること、これを行なつてもそれだけでは胆のう癌の早期発見には役立たないことが認められるので、被告が前記時点において右の検査を行なわなかつたことは被告の債務不履行にはならないといわなければならない。

これに対し、証人田口洋、同斎藤慶一の各証言によれば、閉塞性黄疸の原因には胆石のほかに総胆管、膵頭部および胆のう癌があることが認められ、黄疸出現後は癌の可能性を疑うことが可能であるから、医師としてはより慎重な処置をする必要がある。被告が黄疸出現後胆石による閉塞性黄疸であると信じ、胆汁分泌促進剤の投薬等の内科的治療を継続したことは二で認定したとおりである。しかし、前記各証言によれば、黄疸には内科的黄疸と外科的黄疸の区別があり、閉塞性黄疸は僅少の例外を除き後者に属し、内科的治療方法では悪くはなつても決して良くならないことが認められる。そして、前認定の胆汁分泌促進剤の投薬によつて胆石による閉塞性黄疸の治療が可能であることを認めるに足りる証拠は何もない。そうすると、被告が胆石による閉塞性黄疸と信じながら内科的治療を続けたことは現代医学の水準に照らし誤りであつたことが明らかである。そればかりでなく、胆石の有無を確認する検査方法としては前認定の胆のう造影剤を用いる方法があり、証人斎藤慶一の証言によれば、内科的黄疸か外科的黄疸かは、三で認定した辻本外科病院が行なつたように、肝臓機能検査(血液検査)を行なえばアルカリフオスフアターゼの上昇の有無によつて比較的簡単に判定できることが認められる。そうだとすると、被告が黄疸出現後もこれらの検査をすることなく胆石による閉塞性黄疸と軽信したこと自体現代医学の水準に照らし妥当を欠くものといわなければならない。

そうだとすると、前叙のとおり黄疸出現後は癌の可能性を疑うことが可能であつたこととそれより前に原告富雄から精密検査の要請を受けたことを併せ考えるならば、内科医である被告としては黄疸出現の時点において前記検査を受けさせるため辻本外科病院その他適当な外科の病院に初子を転院させる義務があつたと認めるのが相当である。したがつて、右の時点において初子を外科の病院に転院させなかつた点において、被告は前記債務の完全な履行を怠つたことが明らかである。

六証人辻本賢之助、同田口洋、同斎藤慶一の各証言によると、胆のう癌は転移が早くて切除率が極めて悪い(根治のために切除を要する部位が大である)ため、これを治癒させることは、現代医学の水準ではほとんど不可能であることが認められる。そればかりでなく、証人田口洋、同斎藤慶一の各証言によれば、黄疸が癌発生後どの段階で出現するかは不定であり、開腹手術後も癌の発生時期を推定することは不可能であることが認められるので、本件において初子の胆のう癌が何時発生したかは、これを明らかにすることができないと認めるほかなく、〈証拠判断、省略〉。そうだとすると、仮に被告が黄疸出現の時点において初子を外科病院に転院させたために癌の発見がいくらか早くなつたとしても、これによつて初子の死期がいくらかおそくなつたであろうことは推認できるけれども、同女が死亡の結果を免れたと認めることはできない。したがつて、被告の右債務不履行と相当因果関係があるのは、初子の死亡による損害ではなく、死期が或る程度早められたことによる損害であるということになる。

初子が死期を早められたことにより精神的苦痛を被つたことはいうまでもない。しかし、初子が被告の債務不履行によつて被つた精神的苦痛がこれのみに止まると考えることは早計である。すなわち、患者としては、死亡の結果は免れないとしても、現代医学の水準に照らして十分な治療を受けて死にたいと望むのが当然であり、医師の怠慢、過誤によりこの希望が裏切られ、適切な治療を受けずに死に至つた場合は甚大な精神的苦痛を被るであろうことは想像に難くない。本件の場合は、前認定のとおり、初子が原告富雄を通じて被告に対し精密被告を受けることを希望したのにかかわらず、この希望は被告によつてついに無視され、適切な治療を受けることなく死期を早められたのであるから、初子は被告の前記債務不履行により甚大な精神的苦痛を被つたものと認めるのが相当である。

そこで、慰藉料の額について考えると、前認定の被告の債務不履行の態様、程度に、〈証拠〉によつて認められる、初子が自動車整備士である夫と二児(一九才および一二才)をもつ円満な家庭生活を営む四三才の主婦であつたこと(初子の死亡当時の年齢は当事者間に争いがない。)その他諸般の事情に照らせば、初子の右精神的苦痛は金一〇〇万円をもつて慰藉されると認めるのが相当である。

七原告富雄が、初子の夫であること、原告洋一、同佳予子が初子の子であることは当事者間に争いがないから、原告らは初子の相続人として同女の前記損害賠償請求権を法定相続分に従い各三分の一づつ承継したことが明らかである。したがつて、被告は原告らに対し各金三三万三三三三円(円位未満切捨て)およびこれに対する訴状送達の日の習日であることが記録上明らかな昭和四七年四月一二日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

八よつて、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(瀧川叡一 新村正人 後藤邦春)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例